6年ぶりに嫁の実家福島県へ (その6)被災地訪問編
あの3.11から6年以上が経過しました。その中でも福島県は津波だけで無く放射能の被害も受けています。現在どうなっているのかを見に行きました。ただ私は、浜通地方に行くのは初めてなので、元がどのようなものであったのかは解りません。
(その1)まずは、飯舘村を通りました。ここはふくいちの風下に当たり、放射線量が多かった地域です。今年の3月31日にほとんどのの地区が避難解除になりました。まだ解除されて5ヶ月も経っていません。
まだ作物は作ることが出来ないのでしょう。ほとんどの畑にはひまわりが植えられていました。(ひまわりはセシウムを土壌から吸収すると言われています。真偽は不明のようです。)

空間線量はいまだに1マイクロと高めの場所もありました。年間線量にすると9ミリシーベルトくらいです。年間20ミリシーベルトが避難困難区域の数値なのでまだ高めですね。
除染で出された土があちこちに積み上げられています。

(その2)続いては、南相馬市付近の海岸線です。(小高地区かな)
あちこちに、ここまで津波が来たという看板が立っています。見えている建物は、除染した土を置くための重機の等の基地だと思われます。

津波看板より低い土地には何もありません。見渡す限り家は全く1軒もありません。かなり遠くまで何も無い場所が、何十キロも続いています。人が住んでいた形跡はゼロです。どのくらいの人が住んでいたのか全く想像は出来ません。

海岸線はどこも堤防の建設で忙しそうです。

以下の動画はこの近くで撮影されたものと思われます。16秒から37秒くらいが特に津波のすさまじさを表しています。
(その3)続いて浪江町です。(DASH村があったことで有名です)ここも今年の3月31日に避難区域が解除されたばかりです。状況を知らない私はお昼は浪江焼きそばを食べるつもりでした。しかし、全くそんな状態ではありませんでした。
まだゴーストタウンという感じでした。人も多少住んでいるとは思いますが誰も見かけませんでした。



ここももちろんやっていません。

嫁のお友達が結婚式を挙げた旧百足屋ホテルはなみえホテルになっていました。営業しているかは謎です。

信金だけは営業しているようでした。(他に営業しているのはローソンだけかも?)

完全に避難困難区域の双葉町の手前にあったのが、このローソンです。ここから数十キロ?は無人地帯の高放射線量区域で駐車・停車することもままならないため、ここだけ異様に人がいます。浪江町の台所を支えるためか、セイコーマートのように野菜も比較的扱っていました。

東相馬の道の駅になみえ焼きそばが売っていたので購入して帰りました。

(その4)さて続いて、いまだに町民が一切帰還できない双葉町です。隣接する大熊町も通っていると思うのですが途中でUターンしたのでよく解りません。
入り口には、作業員の放射線量を測定するスクリーニング施設がありました。また、写真を拡大してもらえば読めますが、ここから先は歩行者やバイクは高放射線のため進入禁止です。

もちろん線量は高いです。

ファミマもこの有様です。

双葉町の市街地に抜ける道は沢山あるのですが、全てふさがれています。家は沢山見えますが誰も住んでいません。入ることすら出来ません。

写真で見えるのは事故を起こした原子炉では無いのですが、ふくいちなんてすぐそこです。少し遠いですが、歩いて行ける距離です。


警備員以外で唯一姿を見たのは、道路沿いの花壇に水をやるお姉さんでした。かつて自分の家だったのかもしれません。国道沿いの家なら水まきだけは出来そうです。(おそらく家に入るのは禁止だと思います)
(その5)最後は相馬市です。この付近は海抜が低いのに建物が綺麗に残っていました。なぜだかは解りません。ただ、この橋に行く途中にはサロベツ原野のように何も無い平原が続いていました。

この建物は復元できたようです。下の5年前の写真と比較してください。後方に見える松川浦大橋も通れるようになりました。(その先は通行止めですが。)


以下の映像にも、この橋とこの建物が映っています。実際にこの場所まで行ってから映像を見ると恐ろしさが何倍にもなりました。実際に体験された方はどれほど恐ろしかったのかと思います。
3.11から6年以上経った今でもこれほど酷い状況だとは思いもしませんでした。特に双葉町や大熊町では現時点でも自分の家に入ることすら、近づくことすら出来ません。帰還が可能になった浪江町や飯舘村はまだ修理されていない家や空き家が多くゴーストタウンのようです。津波の被害を受けた海岸地域は全く人が住んでいません。除染土は幹線道路付近では目立たないように壁を作って見えにくくしてありますがおそらく膨大な量があると思われます。実家のある中通り地方は農作物の出荷が再開できていますが、海はまだ完全に漁が再開しているようではありません。東北地方が3.11の被害から1日も早く復興できることを願います。
(その1)まずは、飯舘村を通りました。ここはふくいちの風下に当たり、放射線量が多かった地域です。今年の3月31日にほとんどのの地区が避難解除になりました。まだ解除されて5ヶ月も経っていません。
まだ作物は作ることが出来ないのでしょう。ほとんどの畑にはひまわりが植えられていました。(ひまわりはセシウムを土壌から吸収すると言われています。真偽は不明のようです。)

空間線量はいまだに1マイクロと高めの場所もありました。年間線量にすると9ミリシーベルトくらいです。年間20ミリシーベルトが避難困難区域の数値なのでまだ高めですね。

除染で出された土があちこちに積み上げられています。

(その2)続いては、南相馬市付近の海岸線です。(小高地区かな)
あちこちに、ここまで津波が来たという看板が立っています。見えている建物は、除染した土を置くための重機の等の基地だと思われます。

津波看板より低い土地には何もありません。見渡す限り家は全く1軒もありません。かなり遠くまで何も無い場所が、何十キロも続いています。人が住んでいた形跡はゼロです。どのくらいの人が住んでいたのか全く想像は出来ません。

海岸線はどこも堤防の建設で忙しそうです。

以下の動画はこの近くで撮影されたものと思われます。16秒から37秒くらいが特に津波のすさまじさを表しています。
(その3)続いて浪江町です。(DASH村があったことで有名です)ここも今年の3月31日に避難区域が解除されたばかりです。状況を知らない私はお昼は浪江焼きそばを食べるつもりでした。しかし、全くそんな状態ではありませんでした。
まだゴーストタウンという感じでした。人も多少住んでいるとは思いますが誰も見かけませんでした。



ここももちろんやっていません。

嫁のお友達が結婚式を挙げた旧百足屋ホテルはなみえホテルになっていました。営業しているかは謎です。

信金だけは営業しているようでした。(他に営業しているのはローソンだけかも?)

完全に避難困難区域の双葉町の手前にあったのが、このローソンです。ここから数十キロ?は無人地帯の高放射線量区域で駐車・停車することもままならないため、ここだけ異様に人がいます。浪江町の台所を支えるためか、セイコーマートのように野菜も比較的扱っていました。

東相馬の道の駅になみえ焼きそばが売っていたので購入して帰りました。

(その4)さて続いて、いまだに町民が一切帰還できない双葉町です。隣接する大熊町も通っていると思うのですが途中でUターンしたのでよく解りません。
入り口には、作業員の放射線量を測定するスクリーニング施設がありました。また、写真を拡大してもらえば読めますが、ここから先は歩行者やバイクは高放射線のため進入禁止です。

もちろん線量は高いです。

ファミマもこの有様です。

双葉町の市街地に抜ける道は沢山あるのですが、全てふさがれています。家は沢山見えますが誰も住んでいません。入ることすら出来ません。

写真で見えるのは事故を起こした原子炉では無いのですが、ふくいちなんてすぐそこです。少し遠いですが、歩いて行ける距離です。


警備員以外で唯一姿を見たのは、道路沿いの花壇に水をやるお姉さんでした。かつて自分の家だったのかもしれません。国道沿いの家なら水まきだけは出来そうです。(おそらく家に入るのは禁止だと思います)
(その5)最後は相馬市です。この付近は海抜が低いのに建物が綺麗に残っていました。なぜだかは解りません。ただ、この橋に行く途中にはサロベツ原野のように何も無い平原が続いていました。

この建物は復元できたようです。下の5年前の写真と比較してください。後方に見える松川浦大橋も通れるようになりました。(その先は通行止めですが。)


以下の映像にも、この橋とこの建物が映っています。実際にこの場所まで行ってから映像を見ると恐ろしさが何倍にもなりました。実際に体験された方はどれほど恐ろしかったのかと思います。
3.11から6年以上経った今でもこれほど酷い状況だとは思いもしませんでした。特に双葉町や大熊町では現時点でも自分の家に入ることすら、近づくことすら出来ません。帰還が可能になった浪江町や飯舘村はまだ修理されていない家や空き家が多くゴーストタウンのようです。津波の被害を受けた海岸地域は全く人が住んでいません。除染土は幹線道路付近では目立たないように壁を作って見えにくくしてありますがおそらく膨大な量があると思われます。実家のある中通り地方は農作物の出荷が再開できていますが、海はまだ完全に漁が再開しているようではありません。東北地方が3.11の被害から1日も早く復興できることを願います。
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